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2014年4月

女子界修行デトックス Vol.5 認めてもらいたい女子

美醜、女子力、SNSでのお作法など、立ち振る舞いの難しい修行のような女子の世界。溜まりにたまった鬱屈とした気持ちのデトックスを目指す、ほんの少しだけ後ろ向きな連載です。
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 まず芸能人ブログが始まり、読者モデルのブーム、そしてFacebookの登場――思えば、世の中が段階を踏んでネット上への顔出しを勧めてくるようなここ数年でした。ちょっとしたマルチ勧誘かのごとく、手をこまねいているわけです。「あなたも顔を出せる」「誰にでも潜在能力は備わっている」と言わんばかりに。すっかりその気になった私も、各種SNSに顔写真を投稿してきました、甘い匂いに誘われるかのごとく。aiko風に言えば、誘われたあたしはカブトムシです。しかし、世間はカブトムシたちに厳しいもので、節操なく顔写真をアップしていると槍玉にあげられます。「たまたまプロに撮ってもらう機会があったから」、「みんなで仮装をしたから」など、何かしらの言い訳とセットにする必要があるのです。

 なぜ顔写真ひとつにここまでややこしいお作法があるのでしょうか。自分のことを棚に上げて、せっせとアップされる女性の顔写真を観察していたら、気づいたことがありました。どの写真も、“重い”のです。往々にして、自己検閲をくぐりぬけて投稿された顔写真は、自意識たっぷりの写真なわけで、誰もが持っている「かわいく見られたい」「自分のベストショットを公開したい」という熱気がこれでもかというくらい発されています。恋愛でいうところの、「私のこと好き? 好きって言って!」と同じで、「私の顔、かわいい? かわいいって言って!」と受け手に求めすぎているのです。

 では、日々「かわいい」と言われるのが仕事のような立場になれたら幸せかというとそういうわけでもなく、以前、読者モデルについて取材していた際、売れない読モが原宿の大通りを日がな一日うろうろしているのを見かけたことがあります。「色んなファッション誌にスナップされるために歩いている」とのことでした。もちろん何万円もする服はすべて自腹。夜勤のバイトを掛け持ちしている人も少なくありません。さらにその上の階級である、事務所に所属しているモデルになると、今度は様々な会社の社長などから「タクシー代20万円渡すから食事に同席して」と何人に誘われるかが一つのステータスとなっていると聞きます。宴席に彩りを添えるだけで20万円ももらえるなんて夢のような話ですが、彼女たちの世界では、誘われる回数が少ないと肩身の狭い思いをするのだそうです。また、駆け出しアイドルとして活動しているという人のTwitterを見ていたときは、自己紹介文に所属事務所が書いてあるものの、事務所HPには彼女の名前が載っておらず、会社概要をよく読むと、そこはエキストラのキャスティングをするような事務所……。時折「どうやったら有名になれるの?」とつぶやいているのも哀愁を誘います。何が彼女を執着させるのか、そっと肩の荷を下ろしてあげたい衝動にかられたのでした。

 いっそ、イスラム圏のようにベールで顔を隠す文化になってくれたほうが、厄介ごとが減るのかもしれません。そうなったらなったで、ベールの巻き方が、などのわずかなセンスで階級が生まれるのでしょうか……。


●今日のデトックスポイント:女子が同性の自撮りを叩くのは、「かわいく見られたい顕示欲」に身に覚えがあるから。

<文/朝井麻由美>

(この記事は、2013年8月~「tiite」というサイトで連載していたコラムです。サイト自体がなくなってしまったので、こちらに転載いたしました。)

女子界修行デトックス Vol.4 見えない威嚇に怯える女子

美醜、女子力、SNSでのお作法など、立ち振る舞いの難しい修行のような女子の世界。溜まりにたまった鬱屈とした気持ちのデトックスを目指す、ほんの少しだけ後ろ向きな連載です。
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 先日、知人男性(32)が「僕、“女子高生”が好きなんですよ。現実の女子高生ではなく、美しい部分だけを切り取られた映画作品とかの女子高生が」と言っていました。続けて、「実際はアイドルみたいな女子集団なんてドロドロなんでしょう。やだやだそんなの。現実に疲れたから女のコを束で見たいのに」と。つまり、大勢の女のコは見たいけど、女子の世界のややこしい部分は一切見せないで、という注文。無茶言うでないよ。だったらリカちゃん人形シリーズでも並べて眺めていてほしいものです。というか何? あらゆるインターネットでこれでもかってくらい「女の足の引っ張り合い」だの、「女のランク付け」だの書き散らかされている昨今、まだそんな夢物語を描いているのか、と言いたい。乙女か。少女マンガか、チミは。まあ……、“ドロドロ”の存在を認識している上でのこの発言ということは、結局アイドルもファンも互いがすべてを分かっていながら壮大なキャッキャウフフなプレイをしているのかもしれませんが……。

 しかし、女性アイドルが何かコンテンツを世に放てば放つほど序列が滲み出てきてしまうもので、ここで思い出したいのが、先月の松井珠理奈がセンターに決まった「第4回AKBじゃんけん大会」。そしてもうひとつ、指原莉乃がセンターに選ばれた「第5回選抜総選挙」。

 松井珠理奈がパーを出し続けて優勝したじゃんけん大会は、どちらかというと八百長説のほうが目立つなか、吉田豪さんはあれは珠理奈の“無言のプレッシャー”ゆえの結果だ、と自身の記事(http://n-knuckles.com/serialization/yoshida/news000430.html)で主張しています。曰く、対戦相手は松井珠理奈から「あなたがセンターになってもミリオン出せる?」とプレッシャーを感じてしまってチョキを出せなかったのだ、と。また、実際に日本武道館にじゃんけん大会を見に行った知人Nはこう言っていました。「指原がセンターになったときの世間の微妙な空気を思い出した。序列を崩したらダメ、崩していいのは運営側や超選抜メンバーが描いているストーリーに沿った者のみ、という意識」。

 このじゃんけん大会の真相が実際にどうだったかは置いておいて、女子集団には確かにこういったパワーバランスが存在します。指原がセンターになったときは、“イケてるグループのトップ”にいるはずだった大島優子と渡辺麻友ではなく、「なぜあなたが?」という空気が。そしてじゃんけん大会では、「現場では、珠理奈を蹴落としてまでチョキを出せない雰囲気があって、女子集団のリアルを見てしまった思い」(知人N)と、チョキを出す資格がないと委縮し。いつだって、人気のある枠にいる人がその人気にふさわしい言動を期待され、そうでない枠にいる人は、身の程を知った言動を期待されます。

 高校時代、毎年運動会で扇情的な応援ダンスを踊る「ピンク団」という生徒の自主企画があったのですが、「Aちゃん、ピンク団やらないの?」「あれは選ばれし者の集団だから……」といった会話が各所で交わされていたのを覚えています。当然、「ピンク団」には茶髪のコ、オシャレなコ、彼氏がいるコ、声が高いコ、いち早く16和音の携帯電話を持ち始めたコとか、そういう面々が名を連ねていました。つまり、「あなたがセンターになってもミリオン出せる?」ならぬ、「あなたがピンク団に入ってもこんな魅力的なダンスを踊れる?」というわけです。

 ですが、20数年の女子人生を思い返して、何もこの“力ある者から感じる圧力”は、美貌やモテ度方面に限った話ではないことに気づきました。学年に数人だけが担当する合唱のピアノ伴奏では、ピアノが上手な人(で、なおかつ上手いと周囲に吹聴している人)たちが、自分より力量の低い人へ「あなたが伴奏を担当して上手く弾ける?」と牽制し、テニス部やバスケ部では、レギュラーの座を巡った圧力のかけ合いが……。「ボール拾い」の文化は、先輩たちが後輩にポジションを奪われないために生まれたのかもしれません。ピンク団で肩を出して踊る傍ら、テニス部ではボール拾いをさせられていた人だっているはず。

 卒業後何年もたった今でも、「ピンク団」に入れなかったことを思い出してはさめざめ落ち込んでいたのですが、誰しも自分のテリトリーでは誰かを無意識に威嚇していることを思うと、少し成仏することができました。

 ……まあ、「ピンク団」的な人のほうが、圧倒的にどこへ行っても“強者”である場合が多いのですが。

 生きろ。(そなたは美しいと自分に言い聞かせながら……)

●今日のデトックスポイント:人は業の深さの分だけ、無意識に威嚇をする生き物。

<文/朝井麻由美>

(この記事は、2013年8月~「tiite」というサイトで連載していたコラムです。サイト自体がなくなってしまったので、こちらに転載いたしました。)

女子界修行デトックス Vol.3 男友達が多い女子

美醜、女子力、SNSでのお作法など、立ち振る舞いの難しい修行のような女子の世界。溜まりにたまった鬱屈とした気持ちのデトックスを目指す、ほんの少しだけ後ろ向きな連載です。
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 “男友達”という、異性を意識しているんだかしていないんだか、なんともアンバランスな言葉について思い巡らせていたとき、一つの考えに至りました。“男友達”とは、ある種の女たちのコンプレックスを満たす存在なのではないかと。会話に“男友達”が出てくる例文では、「私、女友達より男友達のほうが多くてさー」「気軽に連絡できるのって男友達だけだわー」あたりが代表格です。もうこれ、男友達界では、「前の車を追ってくれ!」レベルで頻出のイディオム。これを言うと非常に嫌われやすいため、おいそれと口にできないことでも有名です。20数年生きていると、友人との会話の中で何度かこれを耳にする機会に恵まれたのですが、例にもれず小さくイラ立った記憶があります。しかし、よく考えるとここは実はイラ立つところではないのではないか、と。まあ待て、と。思うようになったのです。

 そもそも、“男友達”という言葉は、頭に男と持ってきちゃう時点でどう考えてもオトコとか雄とか♂とかそういうことをわずかに考えているくせに、友達カテゴリに入れてますからねー、いいですかー、ご確認のほど何卒よろしくお願い申し上げますねー、と少し無理してフラットに演出しているようなところがあります。もう、男とか女とか、オスとかメスとか言った時点で意識して分けてるの。全然フラットじゃないの。ピカチュウやカイリューやヤドラン等の並びにしれっと出てきた、ニドラン♂、ニドラン♀がどこか異様だったように、わざわざオスメス言うのは違和感のあること。でも、言いたいんです。私には“男”と冠のついた友達がいる、と。自分の女性という性別に劣等感を抱いている人間にとって、それがどんなに満たされることか。

 ある女性はこう言います。
「わかるー、とか、かわいいー、とか、適当な同調ができなくて、基本的にテンションも低い。言いたいこともハッキリ言ってしまう。女ばかりでつるんでいると、女のコらしさのカケラもないのが浮き彫りになるから、結果的に男友達とばかり一緒にいてしまいますね」(Tさん・29歳)
「正直、モテる・モテないで言えば、男友達が多い人って、モテない枠ですよね。自分で言ってて悲しいですが。モテてたら“友達”にはならないですし。まあ……とはいえ、男友達が多ければ表面的にはモテて見える……ような気がするので、自信にはなっています」(Uさん・26歳)
 つまり、男友達といたほうが劣等感が刺激されず、さらに男友達の数が多いことが自尊心を満たしている、ということです。
 同性という比較対象がない心地よさについては、他にも多数の同意見がありました。
「周りが男性だと“比べられない”から。だから男友達といたほうがラク。女性ばかりの集団の中にいると、かわいい・かわいくない、明るい・暗い、オシャレ・ダサい、とシビアに優劣がつけられるのがしんどいですね」(Oさん・28歳)

 同じものを見て、同じ世界に生きている同性には、言い訳がききません。ファッションセンスからメイク、振る舞いまで、共通の正解があります。逆に言えば、同性の間で上手くやれる人のほうが、女子としての戦闘力は圧倒的に高いのでしょう。

 “男友達”の存在は、そういう同性間の文脈に疲れた人の駆け込み寺だったのです。

●今日のデトックスポイント:女同士でのコミュニケーション(思ってもいないのに「かわいいー(*^_^*)」と言うetc…)をする必要がない分、嘘をついた回数も少なく、徳が高いはずです……。

<文/朝井麻由美>

(この記事は、2013年8月~「tiite」というサイトで連載していたコラムです。サイト自体がなくなってしまったので、こちらに転載いたしました。)

女子界修行デトックス Vol.2 カメラ目線になれない女子

美醜、女子力、SNSでのお作法など、立ち振る舞いの難しい修行のような女子の世界。溜まりにたまった鬱屈とした気持ちのデトックスを目指す、ほんの少しだけ後ろ向きな連載です。
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 女子である以上、一生ついてまわるんです。写真問題。間違いなく男子よりも撮られる機会が圧倒的に多い女子。「写真 人物」で画像検索したら、女性の写真の数が圧勝するはずです。男性の写真と言ったら、学校行事と証明写真、その他飲み会等何らかの場所で女性陣が言い出した「みんなで撮ろうよ」写真、これくらいのものでしょう。人生において必要最小限です。
ところが、この人生で必ず通る儀礼的写真が、女子を2つの道に分かちます。他人の構えるカメラを直視できるか、できないか、の2種類に。

 遡ること小中学生。今よりもずっと無邪気な心を持っていた私たちは、要所要所で現れる学校の専属カメラマンのレンズに向かって、弾けるような笑顔を見せていました。右手ないしは両手で作ったピースとともに。まだ、小顔効果を狙ってピースを頬のすぐ横にくっつけたり、隣の人よりも一歩下がって写ろうとしたり、というテクニックも知らない無垢な時代です。そんなまっさらな気持ちで写った写真が、廊下一面に張り出される(まだデジカメなどなかった時代です)。マメな友達が、「写ルンです」で撮った写真を現像して配ってくれたこともありました。こうした日常スナップを経て、だんだん知るんです、“写真写り”というものを。極め付けは卒業アルバム。長く残るもので、なんなら「このコかわいい、このコ微妙」などと指差し品評されることもあるんですから、もっとこう、緑をバックに自然光でポートレートのような割増し写真を撮ってほしいものです。なんだってあんな、空き教室(とか視聴覚室とか)を撮影会場にして、証明写真のようなサイズ感で、どう考えても元の素材が抜群によくないとかわいく写りっこないシチュエーションで撮られるんでしょうね。現実を見ろ、ってことでしょうか……。

 さて、写真写りコンプレックスを育てに育てた女子は、徐々にカメラのレンズに向けてキリッと笑顔を見せることに苦手意識を持つようになります。そんな女子が逃げ込むのが、必殺“目線外し”です。カメラ目線から少しズラした方向に目線を持って行くと、自然体で、“これが私の顔です!(どん!)”といった自己主張の強さが和らぎ、実物よりかわいいような雰囲気になります。もっと言えば、「なんか話してる途中でたまたま撮られちゃって」感や、「知らないうちに横顔撮られてたー」感を醸し出すこともできるのです。

 さらに。一見矛盾するようですが、自撮りに逃げ込むのも症状の一つ。自撮りをする女子は“自分好き”である――これはたぶん、正しいはず。ですが、自撮り女子は自分の顔に自信があるかというと、むしろ逆のケースが意外とあります。自撮り女子に話を聞いてみると、
「自分のベストな角度で撮れるからいい。他人に撮られると、自分がどういう顔しているときにシャッターを切られるかが分からない」(Kさん・29歳)
「誰かに撮られている緊張感がないから安心した表情で撮れる」(Tさん・26歳)
「いいね!をもらえるから……」(Sさん・25歳)
 自撮りによってコンプレックスの浄化をはかっているかの証言が得られました。写真を撮られるのが嫌というよりも、自分のコントロール下に置けない状況での写真が嫌、ということです。

「写ルンです」しかなかった時代と比べたら、まだ恵まれているのかもしれません。

●今日のデトックスポイント:横顔写真や自撮り写メを見かけたら、その胸の内を察してほしい。

<文/朝井麻由美>

(この記事は、2013年8月~「tiite」というサイトで連載していたコラムです。サイト自体がなくなってしまったので、こちらに転載いたしました。イラスト協力/山崎由貴)

女子界修行デトックス Vol.1 仕分け女子

美醜、女子力、SNSでのお作法など、立ち振る舞いの難しい修行のような女子の世界。溜まりにたまった鬱屈とした気持ちのデトックスを目指す、ほんの少しだけ後ろ向きな連載です。

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 見目麗しい人を前にすると、心のシャッターがスッと閉じるのを感じます。遡れば中高時代。ほぼ美醜のみで決まる階級社会で過ごした呪縛がいまだに尾を引いているのでしょうか。中学ではまだ、勉強やスポーツなど様々な評価基準がありましたが、高校ともなると、学力が同程度の人が集まってきている分、よりシビアに容姿のみでランクが振り分けられていたように思います。『ハリー・ポッター』の入学式で「スリザリィィィィン!」「ハッフルパァァァーフ!」と本人の希望の如何に関わらず帽子が組を決めるように、共学高校でも入学式のあと、教室に入った瞬間にその後3年間の立ち位置が決定。互いのイケてる度を敏感に察知する女子同士は、不思議と何の説明がなくとも自分と同程度の人を的確に選びます。そして、自他ともにトップ認定されたグループ(『ハリー・ポッター』で言えばグリフィンドール、肉で言えばA5ランク)は、文化祭実行委員長などの強気なポジションをほしいままに。こぼれた面々は、急に色気づいて派手なメイクや服で着飾るなどしないよう細心の注意を払いながら、身の丈にあった生活を送るのです。

 そんな閉塞感のある学校文化から解放された今でも、すっかり心の中に卑屈の花が咲き誇った結果、目の前の相手が“こっち側”の人間なのか、“アッチ側”の人なのか、条件反射で仕分けする癖が抜けていません。美しく自信をみなぎらせている人はおろか、クラブに行ったことがある、中学生ですでに彼氏がいた、ダンスが上手い(扇情的な動きの多いダンスに長けている人からはどうしても性の香りがします)など、その仕分け基準はもはや言いがかりレベル。

 ですが、そんな彼女たちは悩みひとつなく日々エネルギーをみなぎらせて生きているのでしょうか。聞いてみると、こんな回答が返ってきました。
「女上司に目をつけられて、どうでもいいことで呼び出されてイチャモンは日常茶飯事。ストレスで突発性難聴になったことも。でも、こんなのよくあることよ」
 と海外セレブのような口調で何でもないことのように言うKさん(26歳)。
 さらには、どこからどう見ても華やかな人生を送ってきたであろう29歳のYさん(元読モ・派手な顔立ち)は、
「私立の学校に通っていたから、文化祭や体育祭などの委員長といった発言権のあるポジションは、幼稚園からの生粋の内部生にしか許されていなかった」
 と、抑圧されていた過去を語ります。
 ほかにもこんな証言が……。
「女友達で集まると、浮気の経験人数を披露し合うのが恒例になっているから気を抜けない」(Iさん・27歳)

 そういえば、以前在籍していた会社で一緒だった煌びやかな同期たちは、年々服装がパリコレのようになり、階段を下りるときさえも我先にと肩をぐいと前に出して競い合うように下りていたのを思い出しました。他の女が自分より先に階段を下りることすら許されない世界なのです。

 階段をゆっくりと下りるたびに、彼女たちの気苦労に祈りを捧げたい気持ちです。


●今日のデトックスポイント:階段をゆっくり下りられる人生でよかった。

<文/朝井麻由美>

(この記事は、2013年8月~「tiite」というサイトで連載していたコラムです。サイト自体がなくなってしまったので、こちらに転載いたしました。イラスト協力/山崎由貴)

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